The HERISSEY Doll manufacture

ピ エール=フランソワ・ジュモーと、HERISSEY 社という人形メーカーで働くベルトンが、運命の出会いをしたパリのレ・アール(当時、大きな市場があった場所)。
エリセー社は、19世紀初頭、フランスの 数少ない人形メーカーのひとつであった。エリセー家の物語は、ピエール=フランソワ・ジュモーとJumeau 社の創出につながる大切なエピソードである・・・
・・・
Lucius-Junius Barra HERISSEY は、1794年に生まれました。彼は労働できる年齢になった時、叔父の食料品店で働きましたが、独立心旺盛な性格であった為、後にパリに行くことを決める のでした。それは、彼が子供の頃から夢見ていたことでもあったのです。その後パリで、1817年に結婚、翌年1818年には息子が生まれました。それから エリセーと妻は、人形制作を含むノベルティーグッズ制作のビジネスを始めることになるのでした。1827年、エリセーが33歳の時であります・・・

5年後の1832年、エリセー家は仕事の為のより広い場所が必要となり、14 rue Salle au Comte(レ・アール近く)にアトリエを構えることにしました。
1832年のフランスは、とても悪い年でありました。
この年の3月、パリではコレラが流行り、沢山の人々が病に苦しみ亡くなっていきました。そして暗澹を確認するように、6月5日には暴動が勃発し市民を一層不安にさせたのでした。この時、エリセー家の歴史にとって、ある大きな出来事が起こったのです。

エリセー夫妻は、コレラで命を落とした友人の娘・Jenny (ジェニー)を養女に迎えたのでした。独ぼっちだったジェニーは、エリセー家に受け入れられ、彼らの仕事に協力しました。
エ リセー家のビジネスは、とても順調でありました。彼らの仕事は、子供の姿をした人形作りであり(ヘッドはドイツ又は他社のコンポジションであった)、女性 の帽子やいろいろな新しい物を制作していました。彼らの製品は、パリ郊外そして、フランス国外にも届けられていました。いくつかの歴史的資料によると、エ リセー社はこの時代の、最も重要な人形メーカーであったと記されています・・・・
・・・
そしてこの時、JUMEAU Storyの重要人物が現れるのです!


その名は、LOUIS DESIRE BELTON(ベルトン)・・・